秋元才加さんは元AKBメンバーで、現在は映画やドラマなのでも躍中の女優さんです。
2020年6月にはかねてより交際中であったラッパーのPUNPEEさんと結婚。
はっきりとしていてキリッとした顔立ちで、スタイルも抜群なのが特徴的です。
いつも笑顔で、ときにはストイックな彼女ですが生い立ちは壮絶だったようです。
そんな秋元才加さんの生い立ちを調べてみました。
すぐ読める目次
秋元才加はフィリピンハーフ

秋元才加さんはお父さんが日本人、お母さんがフィリピン人のフィリピンハーフです。
生まれは、フィリピン・マカティ市。
マカティ市は首都マニラ南西部に位置し、高層ビルが立ち並ぶビジネス首都です。
その後、日本に移住したため育ちは、千葉県松戸市。
才加さんは、出生は日本であると聞かされていたそうです。
お母さんは才加さんがフィリピンで生まれたことを大人になるまで黙っていました。
2014年放送の「ナイナイアンサー」で、
小学校低学年の時「フィリピン人!フィリピン人!」といじめらていたと告白。
心配したあ母さんは世間からの偏見もあるため「日本で生まれた」と才加さんに話していたそうです。
子供は素直に自分が思ったことを平気で口にしてしまうものです。
幼少期の才加さんにとって相当つらかったと思います。
その後AKB48に加入しますが、やはりフィリピン人のハーフであることを隠していました。
幼少期の苦い記憶があったからでしょうか。
才加さんは、AKB48に加入し数年経って初めてフィリピンハーフであることを公表しました。
2014年フィリピン親善大使に就任。
苦悩はあったけれど、自分がフィリピンハーフであること肯定することによって家族によろこんでもらえる。
現在では、フィリピン親善大使にも就任でき「ありがたい」、「もっとがんばろう」
と意気込みを語っていました。
秋元才加の父親と母親は?
秋元才加の父親
才加さんが幼い時からお父さんは無職で、常にお金がない状態でした。

働いていないことについてお父さんに問うと、
「俺はダメだ、お父さんはこういう人間だから反面教師として才加は頑張ってくれ」
と言われたそうです。
そんなお父さんでも、悪いことをしたら「ごめんなさい」や感謝の気持ち「ありがとう」など素直に言ってくれるお父さんだったそうです。
小学生の時、「フィリピン人!フィリピン人!」、「ハーフ!ハーフ!」と
いじめられていたことを両親に話したところ、
お父さんは学校で、「俺の娘にハーフとか言ったやつは誰だ!
あんたらの息子さんより俺の娘のほうが頭もいいし、顔もいい!」
と言い放ったそうです。
才加さんは
少しズレていましたが、子供をすごく愛している気持ちだったり
家族みんなで支えていこうという気持ちをオープンに出してくれる人。
と話し、お父さんのことを人として尊敬しているようでした。
仕事はしてなかったのかもしれません。
しかし、子供に対しても礼儀や思いやりをもって接している姿、その姿をちゃんと才加さんは見ていたのだと感じました。
秋元才加の母親
お母さんは、仕事を掛け持ちし昼夜働き家庭を支えていました。

そんなお母さんですが、やはり子供がいじめられることを心配していたようです。
才加さんには世間の偏見があるため、「日本で生まれていた」と伝えていたり、いじめられたときのために、合気道を習わせていました。
「やられたらやりかえす」為に。
いじめられてくよくよす泣くよりも、立ち向かい強くなって欲しいそういう気持ちもあったのだと思います。
その甲斐もあり、秋元才加さんは合気道2段を取得。
取得するには大体、6年くらいはかかるので、秋元才加さんの努力の結果でもありますね!
秋元才加に兄弟はいる?
秋元才加さんには一歳年下の弟さんがいます。
お名前は秋元亮太さんです。
亮太さんは、「ミスター&ミス・モデルボディモデルジャパン2016」に出場
ミスター・モデルジャパン・フレッシャーズクラスで優勝するほどのすごい方なんです。
「ミスター&ミス・モデルボディモデルジャパン」とは、
スリムでバランスの取れた身体を競うコンテスト。
チケットは全席完売するほど、関心が高くなっている競技です。
才加さんも自身のSNSでも素晴らしい肉体美を披露しています。

姉弟そろってスタイル抜群ですね。
秋元才加の生い立ちが壮絶だった
秋元才加さんの生い立ちについてまとめました。
生まれてからの極貧生活
秋元才加さんは、1988年7月26日フィリピン・マカティ市で誕生。
千葉県松戸市で育ちました。
お父さんは無職のため、お母さんが働き家庭を支えていました。
そのため、たくさんの苦労があったそうです。

常にお金がなため、お小遣いはもらったことがなく、電気・ガスを止められていたこともあります。
電気が止まり夜になると、新聞紙を皿に乗せライターで火をつけ灯りをつけたり、お風呂も沸かせなくなると、凍てつく冬の寒さの中水風呂に入るしかありませんでした。
ご飯は夜19時以降にスーパーのタイムセールを狙って買いに行き、=売り切れているときは、白米に醤油をかけて食べたりと日々生活を送っていました。
幼稚園の時、お弁当を作ってもらったことはなくコンビニのおにぎりを食べていました。
それがあたりまえのことだと思っていたそうです。
いじめられていた小学校時代
小学生時代は「フィリピンハーフ」といじめられてきました。
「フィリピンハーフで何が悪いの?」と常に思い、悩んでいたようです。
少しづつ大きくなってくると洋服にも興味が出てきます。しかし、贅沢はできません。
洋服は5,6着で500円の物を購入していました。

また塾にも通うことができず、勉強はしたいと思っていた才加さんは
焼却炉に破棄されていた参考書を拾いに行き、その参考書を使用し勉強していました。
参考書も買うこともままならなかったくらい貧しかったようですが、
学びたいと思う気持ちの強さを感じられました。
学費を自力で稼いでいた高校時代
高校時代、船橋西高校に入学(現在は船橋哲明高校)、県立の共学高校です。
学費は払えないので、奨学金を受けていました。
バスケットボール部に所属、部活動の傍らアルバイトをして学費を稼いでいました。

勉強、部活、アルバイト、苦労をしながら学生生活を送っていたようです。
自分がしたいと思っていたことは、とことんする。
ストイックさと強さを感じました。
夢は芸能界デビュー
小さいころの夢は「芸能人になるのこと」です。
オーディションを複数受けますが、受けてもなかなか通りません。
しかし、あきらめかけていたとき、AKBのオーディションに受かったのです。

AKBはレッスンが無料であった為続けられましたが、千葉からの電車賃が2000円かかります。
それもいくつかのバイトを掛け持ちしながら電車賃を支払いレッスンに通い、選抜メンバーにも選ばれ活躍されました。
テレビにも出演できるようになり、テレビ局での楽しみは楽屋においてあるお弁当やお茶を沢山持って帰ることでした。
最大で段ボール2箱持って帰ったというエピソードもあります。

AKBメンバーやスタッフも家庭の事情を知っていたので「お弁当持って帰りな」と声をかけてくれいたそうです。
AKBに加入し2,3年したころには仕送りができるほどになりました。
お弁当をもらわなくても大丈夫になったようですね。
しかし、才加さんは少し戸惑うことがあったらしく
仕送りをしだしてから、「実家のグレードがアップしている」ということでした。
電気機器が新しくなっていたり、家の中がだんだん新しいものに変わってびっくりしたようです。
こんにちは☆
今は母と一緒にいます。
マネーの羅針盤は見て頂けたでしょうか?
生放送、緊張しました。笑 pic.twitter.com/K1CGHxgCKZ— 秋元才加 SAYAKA AKIMOTO (@akimotooo726) April 12, 2014
少し戸惑いもあったかもしれませんが、両親が喜んでいるところを見て
才加さん自身うれしかったのではないでしょうか。
裕福ではなかったが、秋元家という家族に支えられてきた。
と才加さんは話します。
いろんな苦悩はあったでしょうし、つらい思いもしてきたでしょう。
しかし、才加さんの家族への気持ちはとても誇らしげでした。
2020年6月に結婚
おはようございます。
この度私、秋元才加は6月20日に結婚致しました。
今後も変わらず、精進して参ります。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。 pic.twitter.com/Sl1wOUvKid— 秋元才加 SAYAKA AKIMOTO (@akimotooo726) June 22, 2020
秋元才加さんは2020年6月にかねてから交際していたPUNPEEさんと結婚されました!
二人の馴れ初めについてはこちらをどうぞ!
▶秋元才加とPUNPEEの馴れ初めから 結婚までを時系列でまとめ!

まとめ
秋元才加さんの生い立ちについてまとめてみました。
フィリピンのハーフであることでいじめられ、お父さんが働かず貧困であった過去。
今ではすべてを受け入れた秋元才加さん。
お父さんに対して悪く言うことはせず、お母さんを責めることもしなかったこと。
そんな考えさえもしないくらい、両親から家族から愛情いっぱいに育てられたのだと強く感じました。
家族みんながつらかった分、秋元家の結束は強いものだと思います。

今後の秋元家の幸せと、秋元才加さんのご活躍を応援しております。